みずぴー日記

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🏭工場日記

工場実習日記の名前はシモーヌ・ヴェイユの工場日記に由来する。 この本には第二次世界大戦以前の工場で勤務した経験が綴られている。 著者の観察力が非常に高く、工場での労働について鋭い記述が多い。

工場日記 (ちくま学芸文庫)

工場日記 (ちくま学芸文庫)

🐾経緯・来歴

シモーヌ・ヴェイユは哲学者である。

哲学には詳しくないが、本の序文やWikipediaにある記述を要約すると次のような経緯で工場で働くことに決めたらしい。

幼ないころから優秀で、パリ高等師範学校を卒業したのち高等中学校の教授となる。 これがどれくらいの難しさなのかがいまひとつ分からないが、"教授資格者"の手当が存在しているかとや、現代のパリ高等師範学校の記述)を読む限りでは相当な難関であると想像できる。

そのなかで社会主義と出会い、その中で語られる労働者の生活を実際に体感したいと熱望するようになった。 そこで教職をしばらく休み、いくつかの工場で働きはじめた。

そのときの体験は、日記や断片的なメモ、友人にあてた手紙などに残されている。 これをまとめたものが工場日記である。

🤕消耗していく様子

さすがに工場での労働はつらかったらしく、どんどん消耗していく様子が見てとれる。 働くのがつらい、というのが何度も書いてある。

働いて食べるということは、多かれ少なかれ、苦しいことではないだろうか。

一歩一歩がわたしには苦痛だった(精神的に。 帰るときには、苦痛は肉体的になる)

朝の四時半に、眠りたいというつよい欲望がおこってきた。しかし、もう起きねばならなかった。 平日休みをとればいいという誘惑をしりぞける。

地下鉄で、若い女が「もう、がんばれそうにないわ」。 ——— わたしもだ・・・・・・。

一歩一歩歩くということに、確かな意思の力が要る。 帰宅してみれば、それでもたいへん元気になった。

一たん機械の前へ立ったら、一日八時間は、自分のたましいを殺し、思考を殺し、感情を殺し、すべてを殺さなければならない。

🤔思考の放棄

工場で淡々と同じ作業を繰り返すためには、余計なことを考えないことがコツである。 それが合わなかったらしくそれに対する悔しさも繰り返し登場する。

(昼休みに)「プリジュニク(大衆向けデパート)」で食事、くつろぐ。 工場へもどるまでの、しばらくの楽しい時間、技師たち、職工たち・・・・・・。 機械の前へもどると、また奴隷になったように思う。

こういう生活がもたらすもっともつよい誘惑に、わたしもまた、ほとんどうちかつことができないようになあった。 それは、もはや考えることをしないという誘惑である。 それだけが苦しまずにすむ、ただ一つの、唯一の方法なのだ。 ただ土曜日の午後と日曜日にだけ、わたしにも思い出や、思考の断片がもどってくる。 このわたしもまた、考える存在であったことを思いだす。

(考えるのをやめるのは) スピードをあげるための要件だ。ものを考えるのをやめなければならないということの屈辱感を、心の底から感じる。

ひまな時間は、一応理論的には、一日八時間労働なので、かなりあるはずですが、実際には、疲労のためにないのも同じことです。

考えないために給料が支払われている傾向がありそうです。

🔥周囲への評価

作業を意味を考えずに仕事している同僚たちが気にくわなかったらしく、辛辣なことを書いている。

数学の勉強をしなかったら、機械は、労働者にとって一つの神秘的存在になる。

仲間たちは、自分たちが奴隷であることを、十分に理解していないからなのだ。

決して苦しんだことのない人間の単純さ。

専門家は堕落をまねく。

🎓要求の高さ

来歴によるものだと思うが、周囲に要求する水準が高い。さらに本人は高いことを自覚してない様子なのがおもしろい。

かれは、ラテン語を二年間、ギリシア語を一年間、英語を少し勉強したことがあるそうだ。 (こういうことを、かれはなんのてらいもなく自慢する)。

(昔の教え子への手紙で) 教科書や講義の批判をするのです。 やってみると、おどろくほどたくさんな誤った理論が横行していることがわかるでしょう。 こういう遊びは非常に有益です。

その他